はじめに

 鞭崎神社は、戦後まもなく施行された宗教法人法に沿って認証手続きが出来ていなかったために、最近まで旧宗教団体のままで宗教活動を続けてきた。 平成29年1月宮司交代の時期を契機に鞭崎神社創建 1340年余り経過した時点で宗教法人化を進める事になった。その後の経緯を以下に述べ、同じ境遇で宗教法人化を進めようと考えておられる全国の神社に参考になればと思い ます。

1、宗教法人化への意思統一

 永年、地元氏子が守り続けてきた氏神様を宗教法人化する事への意思統一がまず最初に必要と考え、矢橋町自治会で実施している住民代表の自治委員会(13の班長会)の席で、鞭崎神社が宗教法人に移行する背景とその理由を説明した。これは、今まで鞭崎神社の管理、運営を氏子と協力しながら実質的に矢橋町自治会が主体となって行ってきたためです。宗教法人を設立する時は、本来ならば氏子、崇敬者のみによる総代会を開催し、主旨、手順を説明し全員の賛同の後に進めるのが正しいのですが、鞭崎神社の場合は上記の理由からまず自治会から始めた。崇敬者、氏子の数は矢橋町自治会加入所帯470戸全てが鞭崎神社氏子であるかどうかは不明でしたが、毎年年末にお初穂を奉納して頂く400戸余りを氏子崇敬者としました。
そして氏子全てに周知徹底する方法として、矢橋町自治会が定期的に発行している町民ニュースに宗教法人化への背景や主旨を掲載して氏子への周知をはかった。また、毎年4月に開催している定期総会に宗教法人化を目指す主旨の議題を上げ、審議を経て了承いただいた。

2、滋賀県や法務局への相談

 宗教法人化への手順が分らなかったので、宗教法人を認証する滋賀県へ相談に行った。
総務部総務課宗教法人係が滋賀県庁にあり、そこで宗教法人の条件と必要な提出書類を受けとった。宗教法人の基本条件は(1)宗教活動に必要な土地を所有している (2)宗教活動を行う施設(建物)が有る。
この基本二項目が満たされているのか鞭崎神社の調査を開始した。
<土地>
大津地方法務局へ行き、事前に知っていた番地の公図と登記簿謄本をとった。鞭崎神社は二筆あり、一筆は社殿や拝殿が存在する土地で地目欄は 「官有社地」となっていた。「所有者欄」には、鞭崎神社と記載している文字を縦線で消してあった。
登記官に聞いたが、なぜ消してあるのか不明との事。また、この登記簿はコンピュータ化されていなくて手書きのままであった。今の登記簿は、ほとんどがコンピュータ化しているのになぜ旧タイプのままなのかも不明とのことであった。
もう1筆は、樹木が生い茂る土地で、現在草津市が「自然環境保全地区」に指定している。この土地の登記簿謄本もコンピュータ化されていなく、手書きで「官林」となっていて所有者欄は空白となっている。
つまり二筆の土地は、官有社地「官林」となっているので国有地のままであった。
なぜ、このようになっているのかその理由を知りたかったので、何回も大津地方法務局へ質問や相談に行った。当然、法務局へは司法書士様同行で、都度、申請書類を提出してからの訪問なのでこの確認作業には時間がかかった。

★分かった事:
 明治維新以前1,000年余り神仏習合の時代が続いていた。しかし、明治新政府は、神道国教化と神社から仏教的要素を排除するため、神仏習合を禁止する神仏分離令を明治元年(1,868年)に発した。
そして、明治政府は明治4年の「社寺領上知令」とそれに続く「地租改正」によって土地の官民区分を推し進めた。その結果、多くの官有の境内地が生じた。
昭和23年に「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」が施行され、社寺境内地処分審査会によって無償譲与が行われたが、 審査会が昭和27年に終了したため無償譲与されないまま官有の境内地(国有地)が全国に残った。登記簿がコンピュータ化されず旧タイプのままである事や、所有者が消されている事などから無償譲与審査会が途中で中断した事が一因かも知れない。
鞭崎神社もこの例で、今日まで国有地のままであった。無償譲与申請を行っていたのか?受理されなかったのか?それとも無償譲与申請を怠ったのか?は、今になっては調べようが無い。
<建物>
建物は法務局へ行き登記されているかどうか調べた。結果は「底地上建物なし」でした。
建物の登記については、昭和 15年(1,940年)の家屋税法制定で全国の税務署に家屋台帳が整備され、建物が家屋番号で特定されるようになりました。
その後、昭和17年(1,942年)の不動産登記法改正により建物の保存登記手続が整備され、この結果、土地・建物とも登記及び台帳の両方の手続が併存し、登記手続きで不便であったようです。
この時代で、鞭崎神社において宗教活動に必要な建物の登記手続きは行われなかったようです。しかし、鞭崎神社の財産であった事は紛れもない事実です。

3、 近畿財務局への問い合わせ
 土地が国有地ならば管理者は財務局なので、早速、近畿財務局大津財務事務所へ行き、昭和23年に鞭崎神社が「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」に沿って譲与申請をした形跡が無いか問い合わせた。近畿財務局では、当時の申請書類など公文書類は保存期限(40年)が過ぎているので残っていない。逆に申請者である鞭崎神社に「控え」などが残っていないかと聞かれた。
そこで、創建から42代続いてきた大神(おおが)家に、70年前の文書が残っていないか無理な調査をお願いしたが、譲与許可申請の控えは見つからなかった。しかし当時の土地測量図が見つかった。

この図面や、他に見つかった資料から鞭崎神社境内へ編入願いを出している証拠になるのではと判断し、近畿財務局へ提出した。
近畿財務局で審議検討する時間が長かったが、昭和26年3月31日に土地二筆の譲与許可を行っているとの「譲与許可証明書」を平成30年6月29日付けで頂いた。
この後は、譲与許可証明書を基に登記手続きをどのようにするかを司法書士様と相談した。

4、 法務局への手続き

  譲与許可証明を頂いたので大津地方法務局へ行き、対象二筆の公有地 (国有地)を鞭崎神社へ登記する移行登記の方法を尋ねた。
大津地方法務局は、当時の法律から調べると「戦後の昭和26年4月3日に施行された宗教法人法で、施行後1年6ケ月以内に宗教法人の手続きをしていなければ、昭和27年10月3日には法定解散になっている」 そのため、登記手続きは、まず「法定解散の清算人を決め、財産の清算処理」をまず行い、その後登記作業にかかれるとの説明であった。
清算人を選任するのは裁判所が行っている。そのため次に大津地方裁判所へ行く事にした。

5、 大津地方裁判所への手続き

  大津地方裁判所民事部非訟係(ひしょうかかり)へ訪問し、解散手続きをするため財産の清算人を選任依頼した。
鞭崎神社は新宗教法人法以前の旧宗教法人令で宗教団体登録はされていて、規則も作成してあった。(規則は滋賀県庁の資料室にコピーが保存されていた) この規則の中に、「神主が缺けた時、又は長く其の職務を行う事が出来ぬ時には、鞭崎神社縁故者の内より代務者を置く」との記述がある。 裁判所は、この規則があり縁故者が現在居られるのであれば、その人を清算人にすれば良いとのアドバイスが有った。しかし、この案は「清算人になる」との記述ではないので、最終的に無理との判断が下された。止むを得ず裁判所が清算人を選任する事になる。この場合 は当然、相応の費用が掛かる事は避けられないとの説明があった。
★このような場合、次に進める疑問点が浮上した。
財産の清算は、土地や建物などであるが、土地は公有地(国有地)なので清算出来ない。建物やその他財産は清算しても、まだ宗教法人 鞭崎神社が認証されていないので引き継げない。 再度、滋賀県総務部総務課宗教法人係へ行き、宗教法人の認証を先にして欲しいと要請したが、今までに例が無い事とやはり認証の基本条件が満たされていないと認証が難しいとの説明。 宗教法人認証のため最低限必要な土地を先に取得するのか、宗教法人認証を先に行ってから土地登記を行うのか、つまり鶏が先か卵が先か?という ジ レンマに滋賀県と鞭崎神社法人申請者の双方が陥った。

6、 神社庁の被包括神社へ
  近隣の神社は、神社庁の被包括下神社になっているのがほとんどです。神社庁傘下に入ると、伊勢神宮の伊勢神宮大麻頒布や神社関係情報の入手、伊勢神宮境内参拝が行えるなどメリットがあるが、神社庁への年間分担金を収める必要がある。今後、規則に則って安定した神社運営が行える事を一番に考え、氏子総代などと熟考後、必要な書類を揃えて神社庁(滋賀県神社庁経由神社本庁)に提出した。(令和元年6月21日)
(1)神社設立及び規則承認申請書 (2)規則 (3)神社明細書(位置図)
(4)設立理由書  (5)設立初年度の予算書 (6)設立後の維持方法説明書
(7)境内地にの登記関係書類 (8)財産目録 (9)神社の景観写真
(10)設立決議録(写)
これらの書類はすべてB4かB5版で縦書き、規則は神社庁から頂いた所定のフォームに所在場所、責任役員数、総代人数、任期など鞭崎神社に沿う事項を記入した。
 この中で境内地の登記関係書類ですが、法務局での登記がまだ出来ていないため「現在の手続き関係先との進捗状況の説明と、譲与許可を基に大津地方法務局に登記登録手続き中とした書面にまとめ提出した。
その後、提出した申請書について神社庁から照会状がきた。その内容は次の通りであった。
(1)法人化する事は、権利と義務を担う事が可能な体制が整っている事。
(2)神社の永続性が確保されている事。
(3)土地について近畿財務局大津財務事務所の譲与許可をもって確実に所有権   が譲渡されるのかの再確認
(4)解散手続きで代務者が清算人となる事(当初の案)の、大津地裁の指導内   容を詳しく知りたい。
この照会に対し、近畿財務局大津財務事務所と大津地裁に行き、再度確認をするとともに、現状を神社庁へ書面で報告した。
すでに鞭崎神社設立の申請を神社庁に提出してあったが、令和2年8月25日付けで(1)鞭崎神社を設立すること (2)規則の承認 (3)神社本庁の被包括神社となることの承認が得られた。
7、滋賀県による認証

急いで、滋賀県総務部総務課へ行き打合せ後、宗教法人の申請書類一式を提出した。氏子、崇敬者への告示を行い1ケ月特に異論や問題が無いことを確認し報告を行うと同時に、宗教法人の規則認証申請をした。
令和2年(2020年)12月11日付けで規則が認証され、認証書の交付を受けた日から2週間以内に宗教法人法第52条に基づく設立の登記を行った。
早速、宗教法人設立登記完了届を滋賀県知事宛に登記事項証明書を添え提出した。これで、ようやく鞭崎神社が宗教法人となったが、まだ問題は残っている。

8、旧鞭ア神社の清算処理

法的に解散となっている旧鞭ア神社(結了登記を済ませていない神社を旧鞭ア神社と表記)が登記簿には残っている。このため「清算人」を裁判所に選任して頂き、某弁護士が選任された。
清算人は自身の清算人登記を行う事と、財産の処分を行ったならば旧鞭ア神社の登記の「結了」登記を行う。
財産はまず土地であるが、近畿財務局と法務局そして当事者である新鞭崎神社(宗教法人となった鞭崎神社を表記)の三者会議で、「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」に沿って国有地を新鞭崎神社に移す手続きを開始した。(譲与許可証明を基に)
・国有地(官有社地と官林)⇒大蔵省に保存登記(所有者が空白であった為)⇒旧鞭ア神社に登記(昭和26年3月31日)⇒新鞭崎神社に登記(令和5年8月4日、原因:清算人による贈与)⇒地目を境内地に変更登記(令和5年10月)
 そして宗教活動に必要な建物は、現在地に何十年、何百年も存在するが登記はされていない。そのため誰の建物か法務局と議論したが、結局旧鞭ア神社の所有であると法務局に届けて新規登記を行った。
・本殿、拝殿、社務所を旧鞭ア神社に登記⇒新鞭崎神社に登記
(令和5年8月4日、原因:清算人による贈与)
これらにより、新鞭崎神社(宗教法人鞭崎神社)は正式に行政機関に登録されて、神社庁被包括の下で安心に、今まで以上一層充実した宗教活動が行えるようになった。
 最後に、これまで丁寧にご指導を頂き、鞭崎神社の難題をご理解頂いた関係行政機関の皆様、神社庁の皆様、近隣神社の皆様、そして矢橋町氏子の皆様に厚く御礼を申し上げます。有難う御座いました。
                                 以上

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